帝が許可なく武力で威嚇するレザノフの動きを止めたため、景晋は英国船も打払令を出せば来航しなくなるのではないかと考え、「どの国の船であろうと、日本沿岸に現れた異国船は無二念に(あれこれ考えず)打ち払え」と命じるべき、と主張した。
景晋は大津浜事件の後に起きた宝島事件を受けて、より強硬な意見書を出している。最終的には穏便な景保の意見書に、強硬な景晋の意見が上乗せされた形で無二念の打払令となった。
異国船打払令はさらに大きなうねりを起こす。会沢正志斎は、英国人が世界地図を指差して日本から英国への海路を何度もなぞるのを見て「神州(日本)を服従させようという意図がある」と解釈し、強い危機感を抱いていた。
景保が出した上書は大津浜事件の直後に出されており、その真意は「捕鯨船の異国人は軍人ではないから、空砲で威嚇すれば上陸してこない」というものだった。景晋は宝島事件を受けて、より強硬な意見書を出している。
異国船打払令はさらに大きなうねりを起こす。会沢正志斎は異国にどう対処すべきかを記した『新論』を書き上げる。その主張は、これまでにないものだった。「日本は、天皇が統治してきた神の国である。天皇を不変の君主として民心を統一し、敵の侵入を防ぐため辺境の防備を強化し、銃砲訓練を徹底すべきだ」
『新論』は藩主の判断で出版は許されなかったが、異国船打払令の正当性を支える理論書として、幕府上層部や諸藩の藩士に広がっていく。

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