タイトル: 玉村町の不思議な地名と宿場文化
群馬県の小さな自治体、玉村町。知名度の高い市に囲まれるように位置するこの町は、私自身つい最近まで気づかなかったため、多くの方が「?」と不思議がるのも仕方ないかもしれない。
関心を抱くきっかけは『道の駅 玉村宿』の看板を偶然目にしたこと。調べると自治体名は「玉村」ではなく「玉村町」であり、江戸時代には宿場町として栄えた地であると知った。
「利根川と支流の烏川の合流点に位置する玉村町には、交通の要衝として着目したであろう豪族らの古墳が約200基確認されています」と教えてくれたのは、玉村町教育委員会生涯学習課文化財係の萩原さん。江戸時代には、朝廷のある京都から徳川家康を祀る日光東照宮へと向かう勅使の一行が利用する日光例幣使道が整備され、中山道の倉賀野宿から分かれた最初の宿場が玉村に置かれたという。
往時には宿場文化の娯楽の場として、大いににぎわいを見せたが、慶応4年(1868)の大火により、玉村八幡宮などごく一部を残し、玉村宿は失われてしまった。道の駅に「宿」とあるのは、町の歩みを今に伝える試みなのだろう。
旧日光例幣使道沿いに店を構える『おにぎりカフェ 玉むすび』の店主で、まちづくり活動にも携わる樋口さんも「今さら宿場の活気は戻らないけど、この場所で店を始めることで、歴史の記憶をつなぐきっかけになれば」と話していた。
地域おこし協力隊を母体に設立された玉村町魅力発信機構事務局が発行する「玉村町ちょい寄りMAP」には、素通りするだけでは見落としてしまいそうな個性豊かな飲食店や気になるスポットがぎっしりと紹介されており、知らなかった町にも魅力が散りばめられていることを再認識した。
深掘りすればするほど思いがけない出会いが待っている徒然旅ならではの意外性を、改めて思い知る出来事でもあった。


コメント