北九州市八幡東区で起きた悲劇:2500人死傷の八幡大空襲

北九州市八幡東区

北九州市八幡東区まとめ:平和を語り継ぐ高田さん、80年目の八幡大空襲体験談

福岡県 北九州市八幡東区で、今年、1945年8月8日の八幡大空襲から80年を迎えました。北九州市八幡東区の高田邦子さん(85)は、この日、約2500人が死傷した空襲体験者として語り部の活動を始めました。

高田さんは当時5歳で、現在の八幡西区に住んでいました。製鉄所に勤める父と母、祖母、妹2人の6人家族でしたが、空襲警報が鳴ると、先生に促され、妹の手を引いて外に出たところ、焼夷弾が落ちるのを見て、「殺される」という恐怖を感じました。自宅前の防空壕に転がり込むと、爆撃機の音や焼夷弾が落ちる音が聞こえました。

空襲がやんで外に出ると、自宅の屋根を貫通し、畳に突き刺さって燃えていた焼夷弾があり、祖母が素手で引き抜いたため、全焼は免れました。父も製鉄所にいて無事でした。

高田さんは優しく接してくれた先生に憧れ、同じ道に進み、北九州市内の中学校や小学校で定年まで勤めました。今年1月、八幡大空襲の継承に取り組む市民グループ「平野塾」と出会い、自分より年上の語り部が減っていると聞き、担い手になろうと決めたそうです。

高田さんは、「私の経験を語ることが、少しでも平和の役に立つなら」と話し、戦後に生まれた妹や2人の娘に伝えたいとの思いもあります。北九州市八幡東区で暮らす私たちは、高田さんの体験談から平和の大切さを学び、語り継ぐ重要性を認識する必要があります。

高田さんは現在、北九州市内の中学校や小学校で太平洋戦争の授業を行っていますが、個人的な体験を伝える機会はなかったそうです。80年目の八幡大空襲を機に、高田さんの語り部活動が始まりました。

私たちは高田さんの体験談から学び、平和を守るために何ができるかを考える必要があります。

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