あゝ野麦峠の女工たち、過酷な労働に耐え続けた真実

飛騨市

飛騨市まとめ:明治から昭和にかけて、多くの女性が長野県諏訪地方の製糸工場に出稼ぎに行った。過酷な労働を強いられ、哀れで悲惨だったという極めて一面的な見方に終始してきた「女工哀史」。しかし、岐阜県飛騨市教委が3年かけて調査し、2021年に刊行した「飛騨の糸引き工女調査報告書」は、地元の工女にまつわる史実を明らかにした。

明治政府が「富国強兵」「殖産興業」を掲げた時代、製糸業は日本の近代化を象徴する一大産業だった。飛騨地方も養蚕が盛んだったため、製糸業で栄えた。しかし、新型の繰糸機の発明で諏訪地方との競争に敗れ、多くの若い女性が出稼ぎに行くようになった。

当時は徒歩で諏訪に向かわねばならず、最大の難所とされたのが県境の野麦峠だった。飛騨市出身の工女政井みねは結核に倒れ、実家へ帰るため兄に背負われて野麦峠にたどり着いたところで「ああ、飛騨が見える」と言い残し、息を引き取った。

映画「あゝ野麦峠」は明治中期の長野県岡谷市の製糸工場が舞台で、少女らは劣悪な環境で長時間労働を強いられ、政井みねは結核に倒れる。実家へ帰るため兄に背負われて野麦峠にたどり着いたところで「ああ、飛騨が見える」と言い残し、息を引き取った。

しかし、映画の演出は極端なものであり、実際の工女の姿は異なる。岐阜県飛騨市教委の調査報告書「飛騨の糸引き工女調査報告書」は、地元の工女にまつわる史実を明らかにした。

飛騨地方も製糸業で栄えたが、新型の繰糸機の発明で諏訪地方との競争に敗れ、多くの若い女性が出稼ぎに行くようになった。

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