広島の影に隠された歴史~東区でも存在した二重差別と朝鮮人被爆者~

広島市東区

広島市東区まとめ:原爆投下の被爆者と向き合う

広島市東区で暮らす人々は、原子爆弾が投下された1945年8月6日から75年以上が経過した現在も、その影響を直視する必要があります。広島県朝鮮人被爆者協議会の会長として活動されている金鎮湖さんに焦点を当てて、自身の体験と両親の被爆について語っていただきました。

金さんは、母親のおなかの中で被爆した胎内被爆者です。自身が被爆者であることを知ったのは中学生のころでした。原爆投下の翌年、可部町(現・広島市安佐北区)で両親と共に生活をしていました。9人きょうだいの8番目として生まれ、在日朝鮮人2世でもあります。

自身が被爆者だと知ったのは中学生のころです。「絶対に、両親にも誰にも言ってはいけないよ」。一番上の姉(長女)がそう言って、あの日のことを教えてくれました。1945年8月6日、可部町にいた両親は市内にいる娘2人を探しに向かって入市被爆した当時16歳だった長女は親戚の家に米を届けるために、14歳の次女も建物疎開のために市内へ出ていた。母親のおなかの中にいた自分は、両親から被爆の事実を秘密にされ続けました。

金さんは現在79歳で、自身が被爆者であることを知ったのは10代になってからです。広島県朝鮮人被爆者協議会では、被爆体験や悩み相談に乗る活動をしています。

原爆投下の影響は、75年以上経過した現在でも、在日朝鮮人と向き合う必要があります。金さんの体験が、未来の世代に語り継がれていくことは非常に重要です。

広島市東区で暮らす皆様には、原爆投下の被爆者と向き合い、次の世代に伝えることが大切であることを忘れないでください。

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