広島市南区まとめ:原爆投下から80年、被爆者の証言が改めて注目される
本日、広島県 広島市南区で、原爆投下から80年の節目を迎えました。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞に伴い、核兵器のない世界を求める被爆者の証言が改めて注目されています。
広島市南区は、原爆投下当時、宇品港があり、中国大陸や東南アジアの戦場に兵士らを送り出す拠点でした。小塚綾子さん(96)は、16歳のとき、宇品港近くの陸軍の施設に勤めていました。事務員として働いていた小塚さんは、閃光と大きな音を感じた後、建物が激しく揺れ、机の下にいたことを覚えています。
被爆後、小塚さんは、母親と共に、焼け野原を歩き、遺体や黒こげの人々を目撃しました。小塚さんの家は、戸もたんすも吹き飛ばされていたため、母親が畑で育てたトマトを差し出してくれたことが唯一の救いでした。
小塚さんは、その後、夫と結婚し、静岡県に移り住みましたが、被爆の影響は体調不良や白血球減少などとして現れました。小塚さんの手記には、「原爆の爪跡はまだ全国に散らばっている被爆者の体を、生活を深く深くむしばんでいます」と書かれています。
現在、小塚さんは4人の子を育て、孫にも恵まれましたが、被爆から80年の今も、鮮やかに思い出すのは、あの黒いトマトと、穏やかで優しかった母の姿です。小塚さんには、「何よりも、いのちが大切だと伝えたい。戦争をしたらあかん。原爆はあかん。もう二度と、子どもたちに黒い雨のトマトを食べさせてはいけないのです」というメッセージがあります。
本日、広島市南区で、被爆者が体験した悲惨な出来事を忘れないため、平和記念式典が行われました。私たちは、被爆者の証言に耳を傾け、核兵器のない世界を目指すために、戦争や原爆の恐ろしさを伝えていく必要があります。

コメント