久慈市再建へ!焼け跡に「食糧基地」構想浮上、隣村も巻き込む大胆復興案

久慈市

久慈市まとめ:80年目の終戦記念日、平和の尊さを考える

本日8月15日は、第2次世界大戦の終戦から80年を迎えます。岩手県久慈市でも、戦時下の「新岩手日報」を振り返り、正しい情報と平和の尊さを考えたいと思います。

1945年の戦時下、旧久慈町(現在の久慈市)では大火が発生し、千戸を焼く被害を受けました。2日後の4月19日には、大胆な復興案がまとめられました。隣接する旧長内村に官庁など久慈の市街地機能を移し、焼け跡を農耕地にしようという計画です。警察部長は「尊い戦訓を生かしてこのような機運を醸成したことは、決戦下うれしい現象だ」と喜びました。

当時、主眼は食糧増産に置かれていましたが、実際には被災者救援の真っ最中でした。隣県や付近町村から見舞いが届けられ、生活再建はまだ見えませんでした。しかし、新岩手日報は「町民は焦土から雄々しく立ち上がり、伝統の不撓(ふとう)の闘魂を発揮」「顔に暗い影がみじんもない」と前を向かせた記事を掲載しました。

戦意を落とさないという方針が徹底されていたため、焼け跡の写真は見当たりませんでした。復興案を紹介した20日付には、廃材で造った掘っ立て小屋の写真が載りました。

80年経った今も、世界では戦禍が絶えず、社会の分断も深刻化しています。不確かな情報も流れています。時代を暗黒に引き戻さないために、私たちは正しい情報と平和の尊さを考え続けなければなりません。

久慈市の住民の皆様は、戦時下の「新岩手日報」が伝える当時の状況を知ることで、平和の尊さを改めて考える機会にしたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました