戦争体験を語り継ぐ 横浜大空襲から80年、緑区で集い

横浜市緑区

横浜市緑区まとめ:太平洋戦争末期の横浜大空襲から80年、鈴木康弘さん(93)が体験を語る

横浜市緑区長津田に住む鈴木康弘さん(93)は、太平洋戦争末期の横浜大空襲で被災した当事者です。5月29日は大空襲から80年となる記念すべき日であり、市民団体による「横浜大空襲祈念のつどい」が開催されました。

鈴木さんは13歳だった当時、中区石川町に母と2人の姉、兄の5人で暮らしていました。父を幼少期に亡くし、母が洋裁仕事で家計を支えていたため、空襲警戒警報が鳴り自宅に帰された後は、慌てて近くの防空壕に逃げ込んだと語っています。

焼夷弾の降下により街は瞬く間に炎と黒煙に包まれ、鈴木さんは身の毛がよだつ思いで防空壕から自宅に戻りました。焼け跡には倒壊した建物や焼け焦げた動物の死骸など凄惨な光景が広がっていたものの、「悲しむ暇なんかなかった。怖いと感じただけ」と当時を振り返っています。

戦後、鈴木さんは横浜商業学校に在学し、野球部に入部しましたが、グラウンドはサツマイモなどを栽培する畑として使われていたため、思う存分ボールを追う喜びをかみしめることができたのは戦後でした。

現在、鈴木さんは「若者にスマホの代わりに銃を持たせる戦争は絶対にしてはならないと伝えたい」と強い思いを抱いています。世界ではウクライナやパレスチナのガザ地区などで武力紛争が起きており、鈴木さんは「いつ核兵器が使われてもおかしくない」と大量殺りくを危惧しています。

横浜大空襲は1945年5月29日午前9時20分ごろに米軍のB29爆撃機517機が横浜上空に飛来し、約1時間で43万8500個を超える焼夷弾を投下した結果、中区、南区、西区、神奈川区を中心に市街地は猛火に包まれました。直後の公式発表によると死者3650人、重軽傷者1万198人、行方不明309人、罹災者31万1218人でしたが、実際の死者は2〜3倍ともいわれています。

横浜市緑区に住む私たちは、この歴史を風化させることなく、次世代に語り継ぐ義務があります。

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