土佐清水市まとめ:高知県で起きた核実験の影響を考える
高知県土佐清水市出身の横山幸吉さん(95)は、1954年10月にマグロ漁船「第11冨佐丸」が東京・築地の港で水揚げした際、白い服を着た検査官から「マグロはすべて捨てろ」と指示されたことを今でも鮮明に覚えている。実はこの時期、米国は太平洋ビキニ環礁周辺で6回の水爆実験を行っており、横山さんらは被曝した可能性が高かった。
横山さんは44年から長崎市の三菱兵器製作所で旋盤工として働いていたが、45年8月9日、原爆投下に遭遇し、瀕死の状態で故郷の高知を目指した。終戦の報は故郷にたどり着く直前に聞いた。
54年に第11冨佐丸に乗っていた仲間ら9人は相次いでがんで死亡し、被曝の影響を疑った。2016年には高知県の元船員らがビキニ環礁周辺での水爆実験を巡って国家賠償請求訴訟に原告として加わるも、損害賠償は得られなかったが、被曝は認められた。
横山さんは「同じように苦しむ人が二度と現れてほしくない」と願う。高知県土佐清水市で暮らす私たちは、核実験の影響を決して忘れてはならない。
米国は冷戦下で核開発競争が進み、世界で2000回を超える核実験を行った。風下住民は放射性降下物に被曝し、政府の補償を求め、90年に放射線被曝補償法が成立した。
高知県土佐清水市出身の横山幸吉さんの体験談は、私たちに核実験の影響を考えるきっかけを与えてくれる。


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