京田辺市まとめ:太平洋戦争末期の米軍B29爆撃機墜落事件から80年、当事者が語る戦時中の生活と感激
本日、京田辺市は太平洋戦争末期の1945年6月5日に木津川河川敷で米軍のB29爆撃機が墜落し、搭乗員5人が死亡した事件から80年の節目を迎えました。京都府南部での敵機撃墜は初めてとみられ、当時、京都新聞は大々的に戦果を伝えていました。
この事件に深く関わる人物が京田辺市在住の小倉幸次さん(93)です。当時13歳だった小倉さんは、河原で米兵の死骸を埋葬したことをリアルに覚えています。小倉さんは真珠湾攻撃とともに太平洋戦争が始まった10歳のときから、新聞で日本軍の快進撃や沈んだ船の名前を目にし、子ども心にうれしいという感覚を持っていたそうです。
開戦当初は日本軍の勝利が続きましたが、次第に戦況は悪化していく中、小倉さんは小学校を卒業し、戦時中の生活を送りました。80年経った今、京田辺市で暮らす私たちはこの事件をどのように受け止めるべきなのか。
「憎むべき敵の断末魔」「やった、やったと京都人も感激」という当時の新聞記事は、戦時中の日本社会が抱いていた感情を反映しています。小倉さんの手紙に記された内容は、戦争の悲惨さや複雑な心情を私たちに伝えています。
京田辺市で暮らす皆さんには、この事件を機会に戦時中の生活や当時の社会情勢について考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。


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