仙台市青葉区まとめ:80年目の仙台空襲、犠牲者を追悼し語り部としての想い
本日7月10日は、1945年7月10日の仙台空襲から80年の節目です。宮城県仙台市青葉区で被災した市橋功さん(91)は当時11歳で、家族と共に必死で逃げて助かりましたが、同級生や教師のご家族など多くの犠牲者を目の当たりにしました。
市橋さんは30年ほど前から仙台空襲の記憶を伝える語り部として活動してきました。80年となった本日は、イベント会場で自らの体験を語りました。「同級生も死んでいますし、教わった先生のご家族も亡くなっている。あれから80年経つんだなと身に沁みました」と当時を振り返りました。
市橋さんは母親が恐怖に震える自分を守ってくれたことを覚えており、「もしもの時には私の身体で子どもを守るということを、母ちゃんがやってくれたことを覚えています」と語りました。家は全焼し多くのものを失いましたが、家族は無事でした。
仙台空襲の犠牲者などを追悼する合同慰霊祭には遺族ら約30人が参列しました。市橋さんは「戦争を経験された世代の方も少なくなってきていると思うので、こういうお話を聞けるのはすごく貴重な機会だったと思う」と語りました。
仙台空襲は1945年7月10日午前0時過ぎにアメリカの爆撃機が仙台市中心部を襲い、火の海と化した街は一瞬にして焼け野原になりました。空襲による死者は1399人に上ります。
宮城県仙台市青葉区で被災し、語り部として活動してきた市橋さんの体験談は貴重な機会です。戦争の記憶が消えることなく、次世代へ伝えていくことが大切です。


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