佐世保の平和を考える:倒壊工場で犠牲者175人

佐世保市

佐世保市まとめ:被爆80年ノーモア銘板が伝える8.9

本日、長崎県立総合体育館の場所にあった長崎市立商業学校を訪れました。原爆で倒壊または全焼した校舎や附属施設は、当時12歳だった橋口平八郎さんの記憶に深く刻まれています。

「被爆80年ノーモア銘板が伝える8.9」では、長崎市内の原爆被災碑銘板をたどります。佐世保市の住民の皆さんも、長崎県の歴史と向き合い、平和について考える機会にしたいと思います。

長崎市立商業学校は、爆心地から北西におよそ1.1キロの位置にありました。原爆で校舎や附属施設が倒壊または全焼し、動員学徒や女子挺身隊員など数百人も犠牲になりました。

橋口平八郎さんは被爆当時12歳で、学校のそばで防空壕掘りをしていた時に被爆しました。彼は、友達がみんな外にいたものはやけどして皮膚が垂れ落ちて亡くなったこと、先輩が建物の下敷きになり亡くなったことを証言しています。

動員先の工場や自宅などで長崎市立商業学校の教職員や生徒175人が犠牲になったと銘板には記されています。佐世保市の住民の皆さんも、長崎県の被爆の実相を知り、平和について考える機会にしたいと思います。

長崎県立総合体育館は現在、長崎市油木町にありますが、当時は長崎市立商業学校がありました。佐世保市からもアクセス可能なこの場所で、被爆の実相を学び、平和を祈りたいと思います。

本日は、長崎県立総合体育館の場所にあった長崎市立商業学校を訪れ、被爆80年ノーモア銘板が伝える8.9を体験しました。佐世保市の住民の皆さんも、長崎県の歴史と向き合い、平和について考える機会にしたいと思います。

作成した独自の記事は以上です。

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