長崎の傷を背負って 沖縄に移り住んだ被爆者たち

沖縄市

沖縄市まとめ:慰霊の日と被爆者援護の歴史

本日、23日は沖縄県の「慰霊の日」です。沖縄戦では県民の4人に1人が犠牲となった悲しい歴史がありますが、同時に長崎や広島で被爆した人々も暮らす沖縄市には、独特の被爆者援護の歴史があります。

沖縄は1972年まで米軍の統治下に置かれていたため、被爆者援護が本土より遅れた経緯があります。浦添市に住む大城智子さん(84)は4歳の時に長崎で被爆し、周囲から「被爆の話は絶対に話したらいけんと」言われて育ちました。

大城さんは大阪で生まれ、45年の春に親戚の住んでいた長崎市内に引っ越しました。8月9日、原爆が投下され、自宅が崩れ家の下敷きになりましたが、母親に助け出されました。翌46年、両親とともに沖縄に戻り、那覇は焦土となっていたことを目にしました。

基地のフェンス越しに米兵からもらうキャンディーやチョコレートの味が忘れられないという大城さんですが、母親は被爆について語ろうとしなかったそうです。戦後80年となる今年、あの時代を振り返る意義とは何かを考える機会にしたいと思います。

沖縄市で暮らす皆様には、改めてこの歴史を学び、次世代に伝えていくことが大切であると考えます。

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