風船爆弾で戦争を終わらせたかった 浜松の村上さん、激動の生涯を語る

浜松市浜名区

浜松市浜名区まとめ:太平洋戦争末期の秘密兵器「風船爆弾」に携わった女学生たち

浜松市浜名区細江町気賀在住の村上としさん(97)は、太平洋戦争末期に日本軍が開発した秘密兵器「風船爆弾」の製造に携わっていた。1944年12月、静岡第一師範学校の女子生徒約160人が岐阜県柳津町の名古屋陸軍造兵廠柳津製造所に学徒動員され、村上さんもその一人だった。

風船爆弾は和紙で作った気球に爆弾を吊るしたもので、日本軍が米国本土を攻撃するために開発された。村上さんは当時10代の女学生で、「私らがこれを作れば戦争に勝つ、と思っていた。純真だったもんでね」と話す。

学徒動員された女学生たちは国のために青春をささげたが、戦争に加担した後悔と誇りの間で揺れる女性もいる。村上さんもその一人で、「遠くを見つめた」奥浜名湖の自宅で当時のことを話してくれた。

太平洋戦争末期の風船爆弾は、米国本土を攻撃するために約1万発が打ち上げられたが、ほとんどが失敗に終わった。日本軍の秘密兵器として開発されたものの、実際には効果的な攻撃手段ではなかった。

浜松市浜名区で生まれ育った村上さんは、戦争の悲惨さを語り継ぐ大切さを強調する。「私たちは戦争に加担したが、後悔している。二度と同じ過ちを繰り返してはならない」と話す。

浜松市浜名区で暮らす住民は、村上さんの体験談から戦争の悲惨さを学び、平和の大切さを再認識することができる。

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