大分市まとめ:平和外交の重要性を考える
太平洋戦争で敗れた日本は1945年9月2日、東京湾に停泊中の米戦艦ミズーリ号の艦上で、降伏文書に調印した。政府代表として署名したのは外相だった重光葵(まもる)氏である。激動期の日本外交に足跡を残した素顔に迫り、平和の尊さについて考える企画展がゆかりの地、大分県国東市で開かれている。
大分市の住民は、重光葵氏の生涯と平和外交の重要性を学ぶ機会として、この企画展に足を運んでみてはいかがだろうか。展示されている資料には、重光氏が公使として中華民国に赴任していた32年4月29日、上海での天長節(昭和天皇の誕生日)の祝賀式典で爆弾テロに遭い、右足を失うという壮絶な体験も含まれている。
また、大分市王子西町の県立先哲史料館でも9月15日まで、降伏文書の実物などを紹介する企画展を開催している。戦時下の暮らしを伝える展示や、重光氏が国連総会での演説後、帰国便の機内カードに書き添えた短歌「国連の庭に掲げし日の丸の 旗は朝日に輝きて見ゆ」も必見である。
戦時債券や軍服、市内の神社に奉納された木製プロペラ、供出された梵鐘(ぼんしょう)の拓本など戦時下の暮らしを伝える展示もある。重光葵氏は一貫して平和外交を主張し、国連加盟を果たした喜びが伝わってくる短歌を残している。
大分市で今日何があったのかを考える上で、この企画展は非常に有意義な機会である。戦後80年となる今年、あの時代を振り返る意義とは何かを、改めて考えてみてはいかがだろうか。


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