シリーズ「戦争の語り部たち」 日本と中国の国交回復の「仕掛け人」と言われる山形県米沢市出身の男性の思い

米沢市

米沢市まとめ:戦後80年、山形県米沢市出身の木村武雄氏の平和への思いを後世に伝える動きが始まっています。木村武雄氏は元衆議院議員で、中国との友好関係構築に力を尽くした「仕掛け人」と言われています。

米沢市の中心部にある民家には、木村武雄氏の政治家としての足跡が残されており、ことし5月に建物の内部が一般に公開されました。木村武雄伝承会が発足し、会員には賛同者や市民らおよそ80人が名を連ねています。

木村武雄氏は1902年米沢市で生まれ、若くして政治家となり、貧困に苦しむ農民たちを助ける運動に取り組みました。1936年に衆議院議員に初当選後、アジア各国の自立や繁栄を目指す「東亜連盟運動」に力を注ぎます。

戦前、木村武雄氏は中国人を日本軍の弾圧から守る役目を果たしました。終戦後まもない時期には石原莞爾元陸軍中将と会談し、「戦争放棄に徹して生きていくべきです」という意見を聞き、木村武雄氏は中国との友好関係構築を目指し奔走します。

1972年、両国は「日中共同声明」を発表し国交を回復しました。戦後80年、世界の情勢は混沌としていますが、伝承会では今こそ木村の足跡や思いを後世に発信していきたいとしています。

米沢市の郊外には木村の立像があります。世界の平和を追求し自らの使命を貫き通したその目に今の世界、今の日本はどう見えているのでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました